「潜在的バイアス」という用語のすゝめ

 

「学問のすゝめ」福沢諭吉

 筆者は、「潜在的バイアス」という用語の使用をすすめたいと思います。

学術界の主流である事
 現代の科学的心理学では、フロイトの精神分析における「無意識(Unconscious)」との区別をする為と、アメリカの行動主義者が意識的及び無意識的な心に働きについて避けて来た影響で、「無意識(Unconscious)」という用語は好まれなかったようです(アメリカ心理学会のデータベースで調べてみた (bias-research.blogspot.com))。そして1990年代にはUnconsciousはImplicitに取って代わられました。アメリカ心理学会のデータベースの査読付き雑誌記事数からも、それが裏付けられます(アメリカ心理学会のデータベースで調べてみた (bias-research.blogspot.com)Greenwald&Banaji.AmerPsychol.2017.pdf (washington.edu))。
 このように学術界ではImplicitが主流である事から「アンコンシャス・バイアス」ではなく「潜在的バイアス」を用いる事が適切だと考えます。

厳密な使用法という意味
 より狭義には、潜在的(implicit)は間接的(indirect)な測定方法の結果に対して用いられた用語です(Greenwald&Banaji.AmerPsychol.2017.pdf (washington.edu))。しかし、間接的な測定方法が無意識(unconscious)を測定したとは保証されません(Greenwald&Banaji.AmerPsychol.2017.pdf (washington.edu)), 潜在(Implicit)という用語:本当は併記しない方が良い! (bias-research.blogspot.com))。
 英語圏ではしばしばimplicit biasはunconscious biasと併記されますが、上記のような理由から、IAT等で間接的に測定するようなバイアスはimplicit bias(潜在的バイアス)を使用するべきだろうと考えます。

世界的に主流である事
 IATは少なくとも4千万回受験され、非常に知名度が高いテストといえます(アンコンシャス・バイアス(潜在的バイアス)を測るテスト、IAT (bias-research.blogspot.com))。それに伴い、IATが測定するimplicit bias(潜在的バイアス)も、「アンコンシャス・バイアス」より知名度が高いと考えられます。公開データの調査でそれは裏付けられています(一般的書を含む公開データで見る、アンコンシャス・バイアス < 潜在的バイアス (bias-research.blogspot.com)世界での Implicit Bias(潜在的バイアス) という言葉 (bias-research.blogspot.com))。
 この世界的な知名度を持つ用語implicit biasの訳「潜在的バイアス」を日本社会に改めて紹介する事は、日本にその研究内容を正しく伝える機会となり得ると考えます。

誤用の拡大とそれを認める事の困難性
 日本では「アンコンシャス・バイアス」の方が「潜在的バイアス」よりはるかに高い知名度を持っています(日本でのアンコンシャス・バイアスという用語 (bias-research.blogspot.com))。そして、その解釈は、本来のアンコンシャス・バイアス(潜在的バイアス)とは異なるものになってしまっています(アンコンシャス・バイアス、それはバイアスの総称?? (bias-research.blogspot.com)潜在的バイアスと、偏見:「無意識の偏見」という訳について (bias-research.blogspot.com)日本での誤用:その無意識調査は何の調査? (bias-research.blogspot.com)日本での誤用:言葉の使われ方の違いから導かれるもの (bias-research.blogspot.com)日本での誤用:その他、独特の解釈 (bias-research.blogspot.com)「アンコンシャス バイアス」で検索したサイトについて、論じてみる (bias-research.blogspot.com))。

 今更学術的な側面からこれらの誤用の指摘をしたとしても、その誤用を広めてしまった人達が誤りを認める事は非常に難しい事だろうと思われます。誤用を広めたのは主に研修などを請け負うコンサルタント達ですが、誤用を認めるという事は彼らの社会的信用を失墜させる事だからです。

 既にこれらコンサルタント達によって、社会のあらゆる層、内閣府から各自治体、企業、小学生までに誤用が浸透している事が分かっています(「アンコンシャス バイアス」で検索したサイトについて、論じてみる (bias-research.blogspot.com)無意識の思い込み(アンコンシャスバイアス) (tokyo.lg.jp))。令和7年度には、中学校の「道徳」教科書に掲載されるとのことです(“アンコンシャスバイアス”が、令和7年度(2025年度)より中学校「道徳」教科書に掲載へ ~全国の中学生が学ぶ道徳教科書(発行7社のうち2社)に採用~ | 一般社団法人アンコンシャスバイアス研究所のプレスリリース (prtimes.jp))。この範囲の広さは彼らの責任の大きさでもあり、政府機関や国の根幹に関わる教育分野まで影響を及ぼしている事は彼らの責任の重さでもあります。これらは、彼らが誤りを認める事をより困難するでしょう。

 コンサルタントについて述べましたが、内閣府の資料や教科書にまで誤った情報が掲載されるとなると問題は深刻です。政府機関の関係者は、コンサルタントの語る事を鵜呑みにして自分たちでは何も検証をしていないように見えます。それでは公務員としての職務を十分果たして言えないと考えます。社内や地域に展開してしまった企業の企画や人事、自治体担当者にも、同様の事が言えます。彼らの立場を考えると、彼らもまた誤用を認める事は容易には出来ないでしょう。
 
 この考え方は、公の利益のために活動しているとしながら、何かあると保身に走り誤りは認めたくないのだろう(誤りの指摘を感謝し、公のためにと前向きに捉える事が出来ないのだろう)、と彼らを見損なっているのかも知れません。
 
 一方で、最終的に社会にアンコンシャス・バイアス(潜在的バイアス)の知見を展開させる事が大切で、彼らが誤りを認めるか認めないかといった事は二の次なのだ、とも私は考えています。
 
 そこでまだ手垢のついていない「潜在的バイアス」という用語を改めて日本社会に導入する事が、その解決したい課題に社会が向き合う事に繋がる、一つの手段だと考えています。

需要に応えるという事
 現在日本で行われている「アンコンシャス・バイアス」研修は、概ね誤ったものだと考えています(「アンコンシャス バイアス」で検索したサイトについて、論じてみる (bias-research.blogspot.com))。しかしこれらが隆盛を誇っているのは、人々の間にそれを求める需要があるからでしょう。学術的には異端な日本の「アンコンシャス・バイアス」研修ですが、人々の需要に応えている面を考慮する必要があると思います。
 
 需要とは、まずDEIBの考え方を取り入れ職場や社会を良くしたいという思いでしょう。また、そのDEIBの理念だけでなく、流行りであって目新しいという事も、人を引き付けるのだろうと考えます。
 
 そして、その研修で満たされるのは、礼儀作法や意思疎通方法などを知りたいという需要だと考えます。「決めつけや押しつけの言動は、相手にとって失礼な事です。」「相手の反応を見て、自分の言動を反省しましょう。」「良く話し合いましょう。」といった内容は社会では必要な事です。人々には、社会秩序を保ち、仕事を円滑に遂行する上での技術が必要とされているのでしょう。マナー研修やコミュニケーション研修が、「アンコンシャス・バイアス」研修に名と趣を変え生まれ変わったのかも知れません。
 
 さらに、より根本的には、現代の日本では「男女性別役割意識改革」が必要とされているので、「男女性別役割意識改革」の内容が大いに歓迎されているのではないかと思います。「事実確認をせず、女性には家庭があるからとの理由だけで成長の機会を与えない、もしくはその仕事内容を軽く評価する、それは良くない事です。」「女の子なのに数学が出来て偉いね、というのは、誉め言葉ではありません。それは、女の子に数学は本来できないのに頑張ったねといった否定的なメッセージを言外に送る事になります。」といった内容は、意識に関わる事です。日本社会がアンコンシャス・バイアス(潜在的バイアス)にまで問題意識が到達するのは、まだ先になりそうです。現状は、固定的な男女性別役割意識に関わる言動を諭し啓蒙する研修が、人々には求められているのだと考えます。

 また、「アンコンシャス・バイアス」研修に限らずですが、研修には人との繋がりを広める場としての役割もあると考えます。研修は、普段は関わらない人たちと出会うきっかけになります。「アンコンシャス・バイアス」研修では、班でお互いの「独善的な行動」「相手の属性から判断してしまったこと」等を話し合う事で、共感し合い連帯感が生まれる事があると思います。また、普段は目にしない側面の他人を知る事による、気づきもあると思います。そういった面で研修を評価する人もいるだろうと考えます。

 「アンコンシャス・バイアス」の用法を誤りと指摘すると、研修を請け負ったコンサルタント、その講師を選定し研修を開催した企画や人事の人達、その研修を受け満足した多くの人々は、受け入れがたい気持ちになるのではと懸念しています。研修の成果が誤った解釈に基づくものだったと認める事は、それが無駄だったと認める事になる、と人は考えても不思議ではありません。しかし、著者が誤用だと指摘している事は、上記の研修の価値を損なうものではありません。その研修は、DEIBの理解を促し、礼儀作法や意思疎通方法について具体的に提案し、男女性別役割意識について諭し啓蒙し、人と交流の場を提供しました。しかし、学術的な意味でのアンコンシャス・バイアス(潜在的バイアス)が主題では無かった、という事です。

 そこで私は、意識改革を扱う現在の「アンコンシャス・バイアス」研修の評価をしつつ「潜在的バイアス」研修を改めて提供する形、を提案したいと思います。
ところで、そもそもアンコンシャス・バイアス(潜在的バイアス)を正しく理解するのは難しいだろう、と思います。


 『アフリカ系アメリカ人警察官がアフリカ系アメリカ人を巻き込んだ警察による銃撃事件に関与しているのに、ヒラリー・クリントンはなぜそのアフリカ系アメリカ人警察官を潜在的バイアスで非難するのだろうか?』(Google翻訳、「暗黙の偏見」を「潜在的バイアス」にブログ筆者が変更。元の発言は、”implicit bias”。) 
 上記は、2016年、アメリカ大統領候補討論会でヒラリー・クリントンが述べた潜在的バイアスへの発言(世界での Implicit Bias(潜在的バイアス) という言葉 (bias-research.blogspot.com))に対し、アメリカ副大統領候補としての討論会におけるマイク・ペンスによる発言(Kaine vs. Pence: The 2016 vice presidential debate (youtube.com), 31:25~)です。ペンスはアフリカ系アメリカ人ならアフリカ系アメリカ人に潜在的バイアスは無いだろう、と言っているのですが、「潜在的バイアスを測るテスト」節で述べたように、それは誤りです。アフリカ系アメリカ人にもアフリカ系アメリカ人への潜在的バイアスは計測され得ます。

 潜在的バイアスの提唱者の一人であるバナージは、

『そのとき、私は、マイク・ペンスはわかっていない、と思いました。彼は、黒人警察官が黒人を撃ったとしても、それは潜在的バイアスではないと考えています。女性が女性を雇わないこと、黒人警察官が黒人を撃つのは潜在的バイアスによるものだという単純な考えさえ、理解してもらうために私たちはどれだけ努力しなければならないかということです。』(Google翻訳。「暗黙の偏見」を「潜在的バイアス」に変更。原文は”implicit bias”。)


 このように、周到に準備したと思われる討論会でも、潜在的バイアスに対する無理解が披露される事があるのです。

 これを踏まえると、研修の受講者がアンコンシャス・バイアス(潜在的バイアス)をすぐに理解可能であるとは想定しない事が妥当です。まして、その「アンコンシャス・バイアス」は誤用だという指摘を理解する事は、さらに容易でないはずです。

 そこで、意識改革を主に扱う研修(現在の「アンコンシャス・バイアス」研修)と「潜在的バイアス」に扱う研修に分け、それを対比させる事でよりアンコンシャス・バイアス(潜在的バイアス)について理解を促す事が出来るのではないか、と考えています。

 最後に、日本という国には「アンコンシャス・バイアス(潜在的バイアス)の科学的研究を正しく理解したい」という需要があるはずです。内閣府の調査(「日本での誤用:その無意識調査は何の調査? (bias-research.blogspot.com))や厚生労働省のYoutube動画(「アンコンシャス バイアス」で検索したサイトについて、論じてみる (bias-research.blogspot.com)アンコンシャス・バイアス セミナー ―心に潜む“無意識の思い込み”に気付く― (youtube.com))等があり、アンコンシャス・バイアス(潜在的バイアス)の問題に対応していきたいとする国としての要求があるのです。そして、国が誤った理解をしてそれに基づいた施策を展開したいと思っているはずはありません。日本の心理学会は、この問題を国に関わる重要な問題として捉え、誤りを指摘する学会の統一見解を出すといった行動を起こす事が社会的な責務だと考えます。

 この問題提起に誰がどう取り組んだのかという評価は、遠くない将来なされる事になるでしょう。

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