アメリカ心理学会のデータベースで調べてみた

 アンコンシャス・バイアス(潜在的バイアス)の研究は、米国で始まりそこを中心に発展してきました。アンコンシャス・バイアス(unconscious bias)と潜在的バイアス(implicit bias)が併記される理由について、そのアメリカ心理学会(American Psychological Association, APA)のデータから探りました。



 上記は、APA の PsycArticles というデータベースで、査読付きの学術誌に対し、潜在的(implicit)とアンコンシャス(unconscious)で検索し論文数を表にしたものです。横軸が出版された年、縦軸が論文数です。期間は1950年から2023年まで調査しました。結果、2010年以降は Unconscious よりも Implicit の方が5倍近く多く、使われている事が分かります。また、1990年代に Implicit は Unconscious よりも優勢になって行った事が分かります。

 ここから、「潜在的(Implicit)バイアス」の方が、「アンコンシャス(Unconscious)・バイアス」よりも主流なのではないか、との仮説が立ちます。その仮説を検証して行きたいと思います。


 実は、20世紀前半の科学的心理学の領域では「無意識(unconscious)」という用語は好まれませんでした。これは、私たちの日常に「無意識(unconscious)」という用語をもたらしたジークムント・フロイト(1856~1939)が創始した精神分析論の絶大な人気への反動と、アメリカの行動主義者(注1)が意識的及び無意識的な心の働きについて論じる事を避けて来たことの反映だと言われています。このため、1990年代には"unconscious cognition"(注2)という用語は"implicit cognition"という用語に取って代わられました。

 上記に「絶大な人気への反動」と書きましたが、具体的にはどういった部分が反応の要因になったのでしょうか。それは、彼の議論は科学的な検証から一線を画し続けて来た部分です。

 フロイトが導入した「無意識」は、『人間の心と行動- 夢、記憶、狂気、そして究極的には文明社会そのものまで – の重要な側面を形成する複雑な動機として、また全知のもの』として描かれました。しかし、『心の無意識的な働きについての理解は、フロイトが先駆的に観察してからの1世紀で大いに変化した。(…)フロイトの議論は科学的な検証から一線を画し続けているため、人間の無意識的な心の機能を科学的に理解するにあたり、近年ではその影響力は大幅に減少して』しまったのです。

 検証を受けない研究が生き残る事は、難しいようです(この事は、後に語る日本でのアンコンシャス・バイアスの誤用についてのフラグになります)。


 科学的心理学者は「無意識(unconscious)」ではなく「潜在的(implicit)」という言葉を使用する、という好みはあれど、ほぼ同義として用いられてきた二つの用語ですが、「潜在的」を決定的に印象付ける出来事がありました。それは、グリーンワルドとバナージによる1995年の論文と、グリーンワルドらの1998年の論文が発表された事です。それぞれ被引用数は1万件以上、1万7千件以上という、強烈な影響を及ぼした論文でした(2024/8/17時点)。

 これ以降、アメリカ心理学会のデータに見られるように、「潜在的(implicit)」を用いた論文の数が「無意識(unconscious)」より優勢になっていったと考えられます。

 同様の事が、「潜在的バイアス」と「アンコンシャス・バイアス」にも言えるのでしょうか?

 結論としては、言えます。

 アメリカ心理学会のデータベース(PsycArticles)の査読付き学術論文を、"impicit bias" と "unconscious bias" でそれぞれ検索し、結果を表にしました。期間は1950年から2023年までとしています。    


 全体の件数は少なくなりますが、"implicit" が優勢になって来たという同様の傾向があるのが分かります。全期間合計数は "implicit bias" で114件、"unconscious bias" は9件でした。データベースをPsycInfo(本や論文を含む)にすると、それぞれ1002件と152件になります(2024/10/7)。アメリカ心理学会では、潜在的バイアス(implicit bias)が優勢であることが分かります。

 では、用法は、潜在的バイアス(implicit bias)とアンコンシャス・バイアス(unconscious bias)で同じでしょうか?

 結論としては、同じ用法でした。

 PsycArticles を "unconscious bias" で検索した1950年以降の査読付き論文7件について、"unconscious bias" は "implicit bias" と同じ意味で使っているが確認されました。学術的にはアンコンシャス・バイアス(unconscious bias)を使うのは少数派であり、使ったとしても潜在的バイアス(implicit bias)として使っている事が分かります。

 

 以上をまとめると、アメリカ心理学会では、"unconscious"は好まれなかった事、バナージとグリーンワルドの影響力の大きい論文によって"implicit"の方が主流になったと思われる事、潜在的バイアス(implicit bias)とアンコンシャス・バイアス(unconscious bias)は同じ意味として使われている事、が分かりました。

 この事から、アンコンシャス・バイアス(unconscious bias)と潜在的バイアス(implicit bias)が併記される理由は、潜在的バイアスが主流だが、現状同じ使われ方をするからだ、と考えられます。


注記:

 上記のアメリカ心理学会の表は、潜在的バイアス(アンコンシャス・バイアス)の提唱者であるグリーンワルドとバナージの2017年の論文が使ったデータが2010年までだった為、最新の動向を探るためにブログ著者が作成しました。彼らと違いは、著者のものは論文数は累計でない事、データベースはPsycArticles(学術誌のみ)であるところです。

(注1)行動主義:人や動物の行動はそれまで考えや感覚によって説明されてきたが、心的学習もしくは習慣の影響に基づいているとする主義。BEHAVIORIST | English meaning - Cambridge Dictionary

(注2)unconscious cognition, implicit cognitionとは、過去の経験の痕跡が内省的に識別されない(または不正確に識別される)ものであって、それが人間の意識や判断に影響を与えるもの、とされています。 つまり、本人の意識では(正しく)識別されないものです。それぞれ「無意識的認知」「潜在的認知」と訳されています。


参考:
"Blindspot Hidden Biases of Good People" M.R.バナージ、A.G.グリーンワルド
「心の中のブラインド・スポット」M.R.バナージ、A.G.グリーンワルド
査読付き雑誌に載った論文より:「潜在的バイアスとアンコンシャス・バイアスはしばしば同じ意味で使われます。」https://www.researchgate.net/publication/374093138_Awareness_of_implicit_attitudes_Large-scale_investigations_of_mechanism_and_scope


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