誤用の何が問題なのか?誤用は大したことない??

 誤用をそのままにするという事は、世界的に注目を集めているアンコンシャス・バイアス(潜在的バイアス)研究の価値を、日本では無にするという事です。しかし失うのは、この研究自体の持つ知識的価値だけではありません。社会が得られるはずだった利益や、誤用を検証出来なかった国や組織としての信用を含みます。

 さらに、一度誤用が広まると訂正は容易では無く、二次被害が発生するという問題もあります。誤用を広める側、広めてしまった側に、自己保身の観点からは誤りを積極的に認める理由はありません。そのような人々は既に情報を発信する側におり、その人々の誤用を指摘し是正させようとするのにはエネルギーが必要です。本来ほかの事に費やせたはずの活力がその訂正作業に注がれるという二次被害が発生します。このブログはその一例です。

 内容を精査しなかった場合、拡散以降はそれに関わる人達の利益相反によって、内容が訂正される事は容易ではありません。


Generated image of incorrectness
 

 誤用の指摘に対する彼らの主な反論は、誤用よりもっと大切な事がある、だから特に対応しなくても良い、とその影響を過小評価するものです。より重要なものが含まれていれば一部の誤りは許容されるというのです。

 許容するしないを決めるのは、誰でしょうか。

 誤用を広めている側はしばしば、「女性だから配慮して責任ある仕事は任せないでおこう。」といった事実確認を行わない一方的な判断を、(彼らの言う)「アンコンシャス・バイアス」の例として挙げ、それは不適切であると主張しています。それは合理的な意思決定手順を踏まず、勝手に相手の選択肢を狭めているからです。
 同様に、「自分たちはより大切な事を訴えたいので、誤りについては黙っておこう/対処しないでおこう。」という彼らの態度は、受け取り側が誤りを知りたいか否か事実確認せずに決定する、不適切な行為ではないでしょうか。
 アンコンシャス・バイアス(潜在的バイアス)のセミナーや研修で、現在日本で広められている「アンコンシャス・バイアス」という用語には誤用しているとの「根拠を持った」指摘がある、それを知りたいですか?と聞かれたら、多くの人は「聞きたいです。」と答えるでしょう。何故なら、誰も誤った使用法を真実だと受け取りたくないからです。「もっと大切な事がある」は、そう語る人の(おそらくは保身の)意向に過ぎません。

 また、より重要な事があるかどうかと誤用であるか否かは、別の問題です。論点を整理して議論する必要があります。既得権益とは距離を置いた客観的視点に立った検証が必要です。

該当記事:

アメリカ心理学会のデータベースで調べてみた

一般的書を含む公開データで見る、アンコンシャス・バイアス < 潜在的バイアス (bias-research.blogspot.com)

日本でのアンコンシャス・バイアスという用語 (bias-research.blogspot.com)

世界での Implicit Bias(潜在的バイアス) という言葉 (bias-research.blogspot.com)

潜在的バイアスの研究は、何を解きたいのか?:「顕在的」と「潜在的」の関係 (bias-research.blogspot.com)

潜在的バイアスの研究は、何を解きたいのか?: 性別の異なる履歴書と、一夜にして有名 (bias-research.blogspot.com)

潜在的バイアスの研究は、何を解きたいのか?: 小さな差異が生み出す大きな違い (bias-research.blogspot.com)

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