現代社会では、昔ほど人はあけすけに差別的意識を表明しません。そして、自分は平等主義者だと、例えば自分は人種で人を差別しない人間だと、信じている人も多いのではないでしょうか。しかし人は潜在的に、社会的集団に対する何らかの態度やステレオタイプを持っています。つまり潜在的バイアスは、その人の意識や信念とは異なることもあるのです。そしてIATで測定された潜在的バイアスの値は、差別的な行動と相関関係がある事が知られています。
以下、それらの関係を表にしました。
この場合の顕在とは、質問やチェックシートに回答するなどして、「人が表明するもの」を指すとします。また、潜在とは、IATで測定されたものを指すとします。
態度やステレオタイプが、顕在的なものと潜在的なものとであり・なしが不一致なものについて、考えたいと思います。
顕在的にはある社会的集団や個人への態度やステレオタイプを持っているが、潜在的には測定されない状態(EO)は、どのようなものでしょうか。これは社会規範上のありたい姿や場の空気を読んで、そのような態度やステレオタイプを表明して「いる」場合が考えられます。例えば、あるスポーツチームを贔屓にしている地域で、ある人はそれに無関心であって潜在的に反応を示すべきものはなくとも、周りに合わせその場だけ贔屓であるかのように振る舞う、といった例が考えられます。
顕在的にはある社会的集団や個人への態度やステレオタイプを持っていないが、潜在的には測定される状態(OI)は、どうでしょうか。これは社会規範上のありたい姿や場の空気を読んで、そのような態度やステレオタイプを表明して「いない」場合が考えらえます。例えば、人種差別主義者であると主張する事は現代社会では許容されないため表明しないが、潜在的にはそういった態度やステレオタイプが測定される場合が考えられます。もしくは、自分は人種差別主義者ではないと信じているが、潜在的バイアスが測定される、という例も挙げられます。
上記の例にあげましたが、顕在的でない、つまりここでは人が表明して「いない」場合は、本人が敢えて表明していない場合と、本人の意思や信念として表明すべきものがない場合に分けられます。本人が敢えて表明していないが潜在的には観測される状態(OI)は、表明が許容される状況など、時と場合によって状態(EI)になり得ると考えられます。同様に、状態(EI)は状態(OI)にもなり得るでしょう。このことは状態(EO)と状態(OO)の組み合わせについても同じことがいえます。
このように、顕在的、つまり人が表明して「いる」か「いない」かについて、そのデータとしての信頼性については議論の余地があります。それらには、自己欺瞞や印象操作の影響が考えられるからです。ちなみに自己欺瞞とは、それを言う本人自身も嘘だということに気づかない可能性のある虚偽です。また印象操作とは、他者からより好意的にみられたいがために人々が行う策略の事です。
IATによって明らかにされた(OI)に対し、多くの人は不快感を示しました。敢えて表明していない人にとってその暴露は不愉快であるでしょうし、意思や信念とは異なるものを提示された人にとっては信じたくない事だと思われます。差別される側だとしたら、傷つき不安に思うでしょう。
これから、潜在的バイアスがどのような「差別的な行動」につながるのか、見ていきたいと思います。
参考:
心の中のブラインド・スポット
https://banaji.sites.fas.harvard.edu/research/publications/articles/2017_Greenwald_AP.pdf
https://x.com/Channel4/status/1275861246726696960
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