がん診断後の働き方に対する満足度の規定要因
一般社団法人 アンコンシャスバイアス研究所の代表理事の守屋智敬さん、同法人理事の太田博子さんの論文を見て行きたいと思います。
上記は一般社団法人 日本キャリアデザイン学会の学会誌に掲載されたものです。筆頭著者は法政大学キャリアデザイン学部キャリアデザイン学科教授の松浦民恵さんです。
主な論点は用語の使用法です。
(前略)国立がん研究センター(2020)によると、
がんと診断を受けて退職・廃業した人は就労者の
19.8%で、そのうち診断確定前に退職・廃業した
人は6.2%、初回治療までに退職・廃業した人は56.8% にのぼる(表1)。
このような早急な退職・廃業に至る背景には、患者本人や周囲の人々(上司など)によるアンコンシャスバイアス(無意識の思い込み)が影響している可能性がある。人には、正しく判断しようとしているにもかかわらず、過去の経験や見聞きしたことによって形成されたアンコンシャスバイアスにより、深刻な判断ミスを起こすことがあるといわれる(Tversky & Kahneman(1974))。たとえば、「がん=死」や「がんになったら働けない」といったアンコンシャスバイアスがあるとすれば、これらの思い込みが、がん診断後の働き方に関する判断や決定を歪めてしまうことが懸念される。
→「アンコンシャスバイアス(無意識の思い込み)」が初出しますが、「無意識の思い込み」についての説明がありません。しかも、この文言は曖昧で誤解を招くものです(心理学の辞典にはない「アンコンシャス・バイアス」と、独自解釈ならば問題なし?)。松浦さん達は、ここで用語の定義を明確にする必要があったと思います。
また、Tversky & Kahneman(1974)は 「バイアス(bias)」を用いましたが、「アンコンシャスバイアス(unconscious bias)」は一度も用いていません。説明なしに Tversky と Kahneman がこの用語を使ったかのように書かない方が良いと思います。
さらに、「がん=死」「がんになったら働けない」といった事を「アンコンシャスバイアス」とも「思い込み」とも呼んでいます。しかし、松岡さん達はその日本語の「思い込み」ではなく「アンコンシャス・バイアス」を用いる理由を説明していないため、どのように用語を整理しているのか不明な書き方になっています。
筆者らが実施した調査(調査の詳細については3
で後述)で、がん経験者に、初めてがんと診断された時に不安に思ったことをたずねた結果をみても、「あと何年も生きられないかもしれない」(68.0%)、「罹患前のような生活に戻れなくなるかもしれない」(61.0%) 、「家族がショックを受けるだろう」(59.4%)、「罹患前のように働けなくなるかもしれない」(59.2%)が上位4位となっている。一方、
これらの不安が継続したとする割合は大きく低下し
ていることから、最初の不安の一部には、がん経験者本人のがんに対するアンコンシャスバイアスが
あった可能性が示唆される(図1)。
→ 「無意識の思い込み」は出典不明のままで内容が説明されておらず、この時点では「アンコンシャスバイアス」の定義が不明です。その為「がん経験者本人のがんに対するアンコンシャスバイアスがあった可能性が示唆される」も良く分かりません。
アンコンシャスバイアスとは、前述のとおり「無意識の思い込み」のことで、2013年にGoogleが社員と経営陣を対象に“Unconscious Bias @ Work”という研修やトレーニングツールを開発したことで、世界的に注目される言葉となった。そのベースには、認知心理学や社会心理学等における「認知バイアス」の研究があり、認知バイアスに関する多くの先行研究が蓄積されてきた。
→ 引き続き「無意識の思い込み」についての説明が無いまま論を進めています。
守屋(2019)では、数多くある認知バイアスの
なかから、「職場の人間関係や仕事に影響するバイ
アス」8項目と「キャリアや成長に影響するバイア
ス」7項目の計15項目が選定されている。本研究
における調査で使用した10個の項目(5でも後述)
は、これら15項目のうち、がん診断後の働き方と
関連性が乏しいと解釈される項目を除外し、項目間
の重複を排除したものである3)。以下、これら10
項目に関わる主要な先行研究を概観する(表2)。
→ 守屋さんの著作では15項目の「認知バイアス」が選定されている、とありますが、彼の本では「アンコンシャス・バイアス」として挙がっています。この論文で言い換えた理由は不明ですが、「認知バイアス」と「アンコンシャス・バイアス」は置き換え可能として扱っている事になります。
また、本文で表2は「認知バイアス」として書き、表2の題名には「アンコンシャスバイアス特性」と書いているのは、何故でしょうか。後述される「アンコンシャスバイアス特性」について先に説明した方が分かり易いかも知れません。
日本でも、2010年代半ば頃からアンコンシャスバ
イアスという概念が流入し、2017年には学会や協
会から構成される男女共同参画学協会連絡会で、アンコンシャスバイアスの啓発のためのパンフレット
が公表された。また、2021年度からは内閣府男女共同参画局で「性別による無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)に関する調査」も開始され、性別によるアンコンシャスバイアス解消等に向けた
普及啓発用動画やパンフレットも公開されている4)。
さらに、アンコンシャスバイアスそのものやその
影響の測定に関する先行研究(パーソル総合研究所(2020)、潮村(2021)等)や、ジェンダーのアンコンシャスバイアスに焦点を当てた先行研究(前述
の内閣府男女共同参画局(2021・2022)、小﨑(2019)等)もみられるようになってきている。 以上、アンコンシャスバイアスに関わる先行研究を概観してきたが、「アンコンシャスバイアス」と
いう概念が注目されて間もないためか、その定義は必ずしも明確ではない。
本研究では、アンコンシャスバイアスについて、以
下の2つの定義を設定する。
① 「がん=死」など、特定のテーマや事象に対する無意識な思い込みを「アンコンシャスバ
イアス」として定義(以下、「アンコンシャスバイアス」と呼ぶ)。
② ステレオタイプなど、①のようなアンコンシャスバイアスのもととなる認知バイアスの特性を「アンコンシャスバイアス特性」として定義(以下、「アンコンシャスバイアス特性」と呼ぶ)。
→ ①「無意識の思い込み」を定義しないまま「アンコンシャスバイアス」を定義する為に使ってしまっています。
②「ステレオタイプ」は「認知バイアス」の一つであり、「認知バイアスの特性」ではありません。「「ステレオタイプ」といった認知バイアスの、特性」という意味でしょうか?
以下にまとめてみました。
①「無意識の思い込み(?)」が「アンコンシャスバイアス」
②「ステレオタイプ」等の「認知バイアス」の「特性(?)」が「アンコンシャスバイアス特性」
「アンコンシャスバイアス」の内容はテーマや事象によって多様である一方、知識さえ得られれば「上書き」されることも多い。一方で、「アンコンシャスバイアス特性」は年月を経ても変わりにくく、継続的に「アンコンシャスバイアス」を生み出しかねないとされる5)。だからこそ、「アンコンシャスバイアス」を回避したり、「上書き」したりするためには、自身の「アンコンシャスバイアス特性」に留意して対処することが重要だと考えられる。
5)先行研究でも、人には「認知的無意識」という直感的にはたらく基本的なシステムがあり(Epstein,
1994)、それによる直感的な思考の誤りを防ぐことは困難な場合が多いとされている(Kahneman,
2011)。
→ 「アンコンシャスバイアス」や「アンコンシャスバイアス特性」は、Epstein, 1994や Kahneman, 2011で言う所の何に当たるのでしょうか?Epstein や Kahneman はそのような用語を使っていないので、論拠として示すならそれらが何に当たるのか説明して欲しいと思います。
前述のとおり本調査は、スノーボールサンプリング方式で実施していることから、厳密には回答サンプルが母集団を代表しているとはいえない。回答者
の居住地域は一都三県が多く、がん経験者について
は「女性が多い」(77.3%)、「50代が多い」(49.3%、平均年齢は53.2歳)、「がんの種類は乳がんが多い」(51.8%)といったサンプル特性がある(表3)。(中略)また、国立がん研究センター『がん情報サービス』8)と照らし合わせてみても、就業者が多い15~64
歳の部位別罹患率の1位は乳房、2位は大腸となっ
ており、本調査の結果と整合的である。
→ 女性が77.3%と多く、がんの種類は乳がんが51.8%、というのは言及されている国立がん研究センターのデータから見ると偏っている様に思いました。国立がん研究センターのデータでは女性が全体に占める割合は57%ですし、部位は乳房が最も多いですが全体に占める割合は上皮内がんを含まないと17%、含めると15%になります。読者に留意させる必要があるのではないかと思います。
これらの結果から、がん経験者が最初にイメージした「がんになったら働けない」等のアンコンシャスバイアスが、その後の検討を経て「やっぱり働けるかもしれない」に「上書き」されて「これまでどおり働く」を希望するようになり、結果としても「これまでどおり働いた」ケースが少なくないこと
がみてとれる。
→ 「がんになったら働けない」等を「アンコンシャスバイアス」としており、「考え」「思い」「思い込み」を「アンコンシャスバイアス」と呼んでいるようです。
調査では、先行研究をもとに整理した10個のアンコンシャスバイアス特性に関する設問を用意し、その頻度を7段階尺度(「全くない」1点~「常に
ある」7点として得点化)でたずねている(表5)
→ 本文では「アンコンシャスバイアス特性」について尋ねたとしながら、表では「アンコンシャスバイアスに関する回答結果」になっています。表でも「アンコンシャスバイアス特性に関する回答結果」にするべきだと思います。
■まとめ
・初出から「無意識の思い込み」の説明がないが「アンコンシャスバイアス」の定義に使っている
・Tversky & Kahneman(1974)を引いているが彼らは「アンコンシャスバイアス」という用語を使っていないので説明が必要
・「認知バイアス」は「アンコンシャス・バイアス」とする文が存在
・表2について、本文では「認知バイアス」、表には「アンコンシャスバイアス特性」
・この論文での定義
①「無意識の思い込み」が「アンコンシャスバイアス」
②「ステレオタイプ」等の「認知バイアス」の「特性」が「アンコンシャスバイアス特性」
・「アンコンシャスバイアス」や「アンコンシャスバイアス特性」は、Epstein, 1994や Kahneman, 2011が使っていない用語なので、引用するなら対応するものは何か説明が必要
・「考え」「思い」「思い込み」を「アンコンシャスバイアス」としている
・表5について、本文では「アンコンシャスバイアス特性」、表には「アンコンシャスバイアスに関する回答結果」
以上のように、この論文では用語の使用法が明確でないと思います。これは混乱を生むので、可能なら改善して頂きたいと思っています。
(余談)
Google の Unconscious Bias @ Work で明確な文言としてのUnconscious bias の定義が述べられなかった事が今日の誤用の原因の一つだと考えています。
男女共同参画学協会連絡会のパンフレットには改善すべき点があると思います(
「アンコンシャス バイアス」で検索したサイトについて、論じてみる)。内閣府男女共同参画局の「性別による無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)に関する調査」は「アンコンシャス・バイアス」という用語の使用法が誤解に基づくものであったため、現在は注釈が入っています(
内閣府男女共同参画局の注釈について、考える)。パーソル総合研究所(2020)は「アンコンシャス・バイアス」と銘打っていますが文中では一貫して「バイアス」を用いており、用語の扱いが良く分からない部分があります。潮村(2021)は、「アンコンシャス・バイアス」は「潜在的連合」あるいは「潜在的態度」、と述べており、「アンコンシャス・バイアス」を「潜在的バイアス」と捉えている事が分かります。小﨑(2019)は「アンコンシャス・バイアス(unconsciousbias, implicit bias, 無意識の偏見)」と書いており「潜在的バイアス(implicit bias)」を意識していた事が分かります。
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